薬物依存のきっかけ

それは現実逃避のために薬物に依存し、習慣になってしまったのだと思っている。

物心ついたころ、小学生ぐらいから両親の仲は非常に悪かった。

夜中に怒鳴り声で目が覚めたり、夜中にたたき起こされて父親に「もう離婚するから、どちらに付くか決めろ」と言われることは何度もあった。

朝、居間の机がひっくり返って、料理やら、飲み物やらが散乱しているなんて驚くことではなかった。母親からの体罰は常態化していたし、無視されることもよくあった。父親は外に女を作っていたが、なぜかお金だけは家に入れるし、自ら家を出ることもなかった。一度母親が私たちを連れて引っ越したが、のこのこと付いてきた。父親は高給取りだったのだから、母と別れて外で作った女と暮らしていくことだってできたはずなのに。

中学生になっても勉強の成績が悪いと、いつも母親から体罰があった。成績が良いと褒められるので、勉強だけはしていた。一見、お勉強のできる生徒だ。

もともと図工の時間に使うシンナーのにおいや、マジックペンなどの揮発性のにおいが好きだった。ある日、家の物置にシンナーがあるのを見つけ、ビニール袋に入れてすってみたのが始まりだった。後でわかったのだが、母親の画材だったらしい。

においも好きだし、なんといっても脳がしびれて幸せな気持ちになるのがたまらなかった。誰かと一緒にやるなんてことは一度もなかった。いつも一人で誰もいない時間をねらって部屋にこもってひたすら吸い続けた。気を失うというか、寝てしまうというかそういう状態になるまで吸うのが気に入っていた。いろんな妄想が実体験のように思えるからだ。黄緑色の葉っぱに乗ったこともあった。

夕食の時間に完全にラリった状態で食卓に座ったことがあり、さすがに揮発性のにおいが髪の毛に染みついていたらしく、一度部屋を捜索されたことがあったが、証拠はすべて2階の屋根に隠していたため容疑者どまりですんだ。

でも本当は気がついていたけど、知らないふりをしたのではないかと今になって思う。なぜなら、子供の出来が悪いと、母は父から暴言暴力を振るわれるからだ。父は医者、母は高卒であったため、子供の出来が悪いのはすべて母のせいであるという考えのもと父は母に暴言暴力を振るうのだった。父が振るった暴言暴力は、母から子へ降りてくる。家庭という子供にとって逃げられない枠の中で、シンナー遊びは唯一の快楽だった。

しかしある日、常に家にあったシンナーがなくなってしまった。かなり焦った。不安に駆られて家じゅう探しまくったがないものはない。中学生だった私は、だめもとで少ない小遣いをにぎりしめ近所の塗装やさんに行ったが、何に使うのか、どうして必要なのか、何度も聞かれて怖気づき、手に入れることはできなかったのだ。

仕方なく手に入れたのは、図工で使うニスだった。ニスなら中学生が買っても授業で使うと言えば普通に売ってくれた。シンナーとはにおいが違うが、同じ有機溶剤で揮発性のしびれる感じは似ていた。シンナーと違い、ニスは固まるために処理もしやすかった。その後もなくなれば買いに行って、変わらず一人で没頭していた。

ところが授業中、耳鳴りがするようになる。そして間もなく左の耳が聞こえにくくなっていることに気が付いた。子供ながらに、これは中毒だろうと思った。隣の席の男子に、歯の色が黄色いと言われたのも気になっていた。今だからわかるが、エナメル質が解けたためだろう。今も歯が黄色、というか薄く透けている部分がある。

さすがに耳が聞こえなくなるのは嫌だったし、怖くなったのでひとまずやめることにした。中学1年から2年までの間の使用で、体調に不具合がでたことで、一旦やめることができたのは幸運だったと思う。

中学3年は受験勉強に没頭していたため有機溶剤に手を出すことはなかった。